落語・大道芸の出演者はこちら!←check
只今出演者調整中です。今後変更等の可能性がありますので、うあーーーこの人来るの!?なんて思って興奮された方変更になったらごめんなさい。
そして準備中だらけですいません。今頑張って作ってます!
順番は更新順です。
画像はあちこちから拝借したものです。ご迷惑がかかる場合ご連絡お願い致します。
ストリートミュージックフェスタinなみえ実行委員会
遠藤ミチロウ
音楽家。1950年福島県二本松市生まれ。
日本のロックシーンに衝撃を与えた伝説のパンクバンド、ザ・スターリンの中心人物として1982年にアルバム『STOP JAP』にてメジャーデビュー。その強烈な存在感とカリスマ性で圧倒的な支持を集め、一世を風靡する。1985年にバンドを解散してからは、ソロアーティストとしてのキャリアをスタート。アコースティックギターを抱え、毎年全国150ヶ所以上をツアーしている。並行して3つのアンプラグド・パンクバンド、M.J.Q、TOUCH-ME、NOTALIN'Sでも活動中。
今回、浪江音楽祭開催にあたり、プロジェクト福島の実行メンバーとして様々な支援等バックアップをして頂いている。
IN THE WIND インザウィンド
フォーク叙情いっぱい! IN THE WINDです!
歌ってさすけね!と、言われればどこへでも!!行きますよ♪
フォークのみならず、童謡コンサートも開催しております。
NHK熱血おやじバトル出場。
H18年度NHK東北ふるさと賞。
最近はフォーク世代を中心に広い世代に大人気!!
吉川忠英 新アレンジ「赤とんぼ」で全国ライブ中!
マダムギター長見順・岡地曙裕
カルメン・マキ
1951年、神奈川県鎌倉市出身。父方の祖父はアイルランド人、祖母はユダヤ系ポーランド人、母は日本人。
生後間もなく東京に移住。17歳で独立。
1968年、故寺山修司主宰の「演劇実験室 天井桟敷」に入団。その年の夏、東京厚生年金会館にて「書を捨てよ町へ出よう」で初舞台を踏む。
1969年、「時には母のない子のように」で歌手デビュー。
1972年、「カルメン・マキ&OZ」結成。75年、ファーストアルバム「カルメン・マキ&OZ」とシングル「午前1時のスケッチ」を発表。
1975年、来日した「ジェフ・べック・グループ:注1」、「グランドファンクレイルロード:注2」のサポーティングアクトを務める。
1977年、ライブ盤を含む4枚のアルバムと3枚のシングルを残して解散。
その後も「カルメン・マキ&LAFF」「カルメン・マキ&MOSES」等のバンド活動やソロを通じ日本における女性ロックシンガーの第一人者として活躍する。
2000年、来日したカーマイン・アピスとティム・ボカートにCharが加わった「BBA」ならぬ「BBC」のゲストヴォーカルとしてツアーに参加。東京武道館、名古屋、大阪、京都、神戸の各公演に同行する。
2001年以降は、ロックやフォークに捉われずジャンルを超えた新機軸を開発すべく様々なフィールドで活躍するミュージシャン達とのコラボレーションを精力的に展開している。
2003年、鬼怒無月・勝井祐二・芳垣安洋・松永孝義とのユニットで「SALAMANDRE」、
2004年、その「SALAMANDRE」のメンバーを含む、吉川忠英・丸山ももたろうをフィューチャ―したアコースティックアルバム「Another Way」、
2007年、板橋文夫・太田恵資とのトリオでのライブ盤「時には母のない子のように2007」(浅草「アサヒ・アート・スクエア」於)、
2008年、初の全編詩の朗読によるアルバム「白い月」、
2009年、歌手生活40周年を記念して、太田恵資・黒田京子とのトリオに加え、ゲストに佐藤芳明(アコーディオン)吉見征樹(タブラ)を迎えたアルバム「ペルソナ」をリリース。
オムニバス盤、企画盤、ゲスト参加、等含めると、今までに発表した音源は膨大な数に及び、本人が把握しきれないほど数知れず。
遠藤賢司
1947年茨城県ひたちなか市出身。東京在住のシンガーソングライター・ミュージシャン。
自称「純音楽家」愛称は「エンケン」で広く親しまれている。
「純音楽」をキーワードに、精力的に活動中。代表曲に「夜汽車のブルース」・「満足できるかな」・「カレーライス」・「東京ワッショイ」・「不滅の男」・「夢よ叫べ」などがある。
好きな食べ物はカレーライス。大の猫好きで知られ、歌詞中に猫の登場する楽曲も多い。文学・映画・プロレス・サッカー・お笑いなどにも強い関心を持つ一面もある。
火取ゆき
火取ゆきはインディーズシーンで35年間歌い続けている。
直向きにギターを弾き、継続して歌ってきた生粋のアングラ歌手であり、しかも、女性歌手である。
多くのインディーズ歌手が様々な事情で立ち止まってゆく中、火取ゆきという歌手の存在は希有な存在と言っても過言ではないだろう。火取の魅力はなんと言ってもこの「声」だ。火取の強烈な存在感そのものである。
2009年よりマンスリーLIVE形式を止め、ステージ数を減らし、1つ1つのLIVEの質をより深めようと取り組んでいる。近年は、自身のオリジナル曲を中心に
新たなステージを展開している。
AZUMI
プロフィール準備中です。
原田直之
昭和17年 福島県生まれ。
昭和36年に我妻桃也の内弟子となり、昭和39年にはポリドールより
「長持唄」でレコードデビュー。
以後、日本を代表する民謡歌手への道を歩み始める。
昭和56年には「第2回松尾芸能賞」歌謡芸能部門で「歌謡芸能賞優秀賞」を受賞。
現在は民謡活動のかたわら、ミュージカルにも挑戦するなど、ますます芸の幅をひろげ活躍中。
The Surf Billy's with Rossy Bell
The Surf Billy's、
50‘sロカビリー、80’sネオロカビリーを基本にカバー曲メイン、主に南相馬市で活動。
ギター&ボーカル、郡 泰博
ウッドベース、 郡 和彦
ドラムス、 佐藤 浩一
曲によって、ゲストボーカルを交えながら活動。
今回ギターボーカルの郡泰博がゲストボーカルのRossy Bellと共演
Rossy Bell 、(ロージー ベル)
本名 鈴木 彩夏 19歳
浪江町苅宿地区出身
ブルース、ロッカビリーをベースとしたアーリーアメリカンロック を聴かせてくれます。
BLACK BOX
2006年に、地元で別々に活動していた仲間で結成。浪江町を拠点に、県内各地、県外で活動。ストリートミュージックフェスタにも、2006年から出演。
昨年避難後、再会し「復興なみえ十日市」に参加、その後、数本のライブに出演。
聴き所は、男、四人のハーモニーで、オリジナル曲、往年の名曲のカバーを織り交ぜる予定。また、メンバーはBlack Box以外の活動も並行し、個性を活かした音楽活動を展開中。
メンバー構成
Seiichi Ishii(EG、Vo)
凛然(AG、Vo)
Eijirou Ohba(B、Vo)
Eiichi Nishi(Per、Cho)
RAINBOW MUSIC
NINI(福島市)、nonco(福島浪江町)、中(岩手県)、PARA(千葉県)、ANCHE(神奈川県)の五名から成る歌い手とグループ。それぞれの個性ある幅広い音楽性を活かし、東北・関東のクラブやライブハウス、野外イベントにて活動をする。またメンバーそれぞれの地元を中心にソロ活動を行っている。
2011年にはDJめこり(福島県富岡町)が加わりさらなる飛躍を目指す。
レゲエ音楽を中心にジャンルの壁を超えたグッドなミュージックを発信!
「RAINBOW MUSIC」は、結成時から、浪江町を心から愛するたくさんの方々に育てていただきました。少しでも私たちの歌がみなさんの力の糧になりますように。
mica goRai
9歳から歌う事に夢を抱く。
浪江中学校を卒業後、故郷を離れ進学。
あちこち駆け巡る10代を過ごし、ライブ活動や勝抜き形式の地方歌番組に出演。
19歳の時妊娠をキッカケに帰郷。
その後20歳で出産を経験し浪江町にて娘と二人三脚人生を送りながら細々と音楽活動を続ける最中の被災。
想いは自ら”希望の光”をさして生きたい。
そして震災3日後に書き下した「浪江町で生まれ育った。」を含む全4曲収録オリジナルCDを自主制作で2012.3.20完成させた。
現在の避難先-群馬県からPOWERを届けに行きます!
矢野 雅哉
矢野 雅哉(やの まさや)
浪江町牛渡出身
1983/5/17(29歳)
B型
1999 双葉高校入学と同時にREZIST(レジスト)結成
2002 上京し、新メンバーにて都内で活動再開
2009 数枚の自主音源制作、2度の全国ツアーを行うも結成から 10年でREZIST解散
2009 新バンドMeteoric Swarm(メテオリックスウォーム)結成
並行して矢野雅哉として弾き語りライブも行う
2011
3/13 いわきSONICにて震災後初の県内でのライブを行う
今後も都内を拠点に地元福島での活動も展開予定
両親、親族は都内の借りあげマンションに避難中。
もっさん
プロフィール準備中です。
SCRAP
浪江町出身のVo.NOBUを中心に1998年PUNKバンド『SCRAP』を結成する。2000年に【SCRAP★SCRAP】をリリース
翌年に福島県相馬市で300人を動員。その評価が認められ、郡山市に拠点を移す。郡山で100人の動員を果たす。
2006年に発売した【Raise The Flag.】を引っさげてのツアー後メンバーが脱退。
その後数々のメンバーチェンジがあり2011年3.11原発事故で行き場をなくし転々とし現在は福島県郡山市へ避難する。あちこちに散らばったメンバー達。今だから叫ばなきゃいけない!俺が歌う!とサポートの力を借り一人SCRAPの看板を背負い活動を続ける。
その後
東電への怒りを歌った「FUCK TEPCO!!」が注目され
今年の1月に朝日新聞に掲載
2月アメリカのメディアCNNからの取材を受けアメリカのTVで放送された。
そして現在GrとDrが加わり活動を続ける。
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